カフェ・コン・レッチェ〜ペルー・サッカーのいま(網野 徹哉)
首都リマを漂う春の霧には、その日の朝から異様な熱気が混ざりあっていた。95年10月の終わりのこと。リマに本拠をおき、ペルー・サッカー界の人気を二分するプロ・サッカーチーム《アリアンサ》と《ウニベルシタリオ》の「クラシコ(伝統戦、ダービー・マッチ)」が予定されていたからである。この時ぼくは、リマ・カトリック大学に半年にわたり短期派遣され、日本文化論を講じていた。数日前からリマの街角では、両チームのインチャ(熱狂的フアン)が、冗談を交えながら、互いを罵倒しあっている。それは「クラシコ」前の日常的風景であった・・・お話しはつづく
スペインで危ない目に遭った話(竹村 文彦)
僕が初めてスペインに留学していたときのことだから、もうずいぶん昔の話だ。当時はマドリードに住んでいたのだが、一週間ほどバルセロナに旅行をし、夜行列車で帰ってきた朝のこと。借りていた部屋まで無事に帰り着い てベッドに腰を下ろし、ほっと一息。旅先で買った絵はがきがまた見たくなり、ショルダーバッグのチャックを開けて仰天した・・・・お話しはつづく
ベネズエラ東部の旅から(高 橋 均)
この夏(2007年)に、シモン・ボリーバルSimónBolívarの足跡をビデオにとってスペイン語のAV教材を作る目的で、ベネズエラ東部のバルセロナBarcelona、クマナCumaná、マルガリタ島Isla de Margaritaをまわってきた。ボリーバルは1816~17年にかけて、独立派が蜂起していたマルガリタ島を基地としてバルセロナを攻略し、西のカラカスと東のクマナをおさえるスペイン軍の間に割って入る形となった。しかし、やがて根拠地を南のオリノコ河流域グアヤナGuayanaに移し、バルセロナはスペイン軍に取りかえされてしまった・・・お話しはつづく
ドミニカ音楽紀行(石 橋 純)
スペイン語圏カリブの島々は、兄弟姉妹のような関係にある。 気候風土も、スペイン語の響きも、食文化も、互いによく似ている。たが、細部へのこだわりや、微妙な味わい、風あいといった点に、やはりその土地ならではの「お国ぶり」があらわれる。ことに、音楽にはその違いがよくあらわれていると私は思う・・・お話しはつづく
スペイン語の現在完了形(上田 博人)
2004年から東京大学のスペイン語部会は総力を上げて前期課程の1年生に向けた初級スペイン語教材を作成している。インターネットを利用し、魅力的で学習効果のある教材を随時発信していこうと鋭意努力中だ。スタッフはラテンアメリカ、スペイン、フランスなどのフィールドで映像資料を集めて、それを教材化しつつある。夏学期に実施したアンケート調査によれば、未だ利用率は少ないものの、大方の好評を得ている。まずは一安心・・・お話しはつづく
Fredy's Gone 〜旅のささやかな楽しみとその突然の終焉(石 橋 純)
2私がいつもヒューストン経由で南米に行くのには、理由がある。往路アメリカ合衆国で一泊せずに直接ベネズエラ、コロンビア入りできること。米国での乗り継ぎが一度ですむこと。すべての経路を同じ航空会社で往復できること。この条件を満たす便は、2007年現在デルタ航空(アトランタ経由)とコンチネンタル航空(ヒューストン経由)しかないからだ。では、なぜヒューストン経由かというと・・・お話しはつづく